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良いサマリヤ人|ひつじ王国

良いサマリヤ人

マナくん
マナくん
うーん……
アララト先生
アララト先生
おやマナくん、そんな顔してどうしたのさ?
マナくん
マナくん
実は今日、満員電車で座ってたら、近くにヨボヨボのおじいちゃんが来て……席を譲ったほうがいいのかなぁって思ったんだけど、ぼく疲れてたし、周りの人が誰か譲るかなぁって思って結局譲らなかったんだ。
マナくん
マナくん
それが、ずっと引っかかってて……
アララト先生
アララト先生
結局、誰かが譲ったのかい?
マナくん
マナくん
ううん、誰も譲らないまま、しばらくしたらおじいちゃん降りてっちゃったんだぁ。
アララト先生
アララト先生
迷っちゃったんだね。その気持ち、よくわかるよ。
じゃあ、今日はそんな迷える子羊マナくんにぴったりの、イエス様が話した「良いサマリヤ人」というたとえを紹介するね!

良いサマリア人

ある人がエルサレムからエリコに行く途中、強盗達が彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせたまま、逃げ去ってしまいました。するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下って来ましたが、この人を見ると、離れた所を通って行ってしまいました。同様に、レビ人もこの場所にさしかかりましたが、彼を見ると道の反対側を通って行きました。ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いで包帯をしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱しました。

翌日、お金を取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言いました。1

アララト先生
アララト先生
この話を理解するポイントは、3人が祭司レビ人、そしてサマリヤ人2だったということなんだ。

この話が語られた、約2000年前のユダヤで、祭司レビ人というのは神殿で神様から定められた儀式を執り行う重要な役割を持っている人達だったから、人々から尊敬される立場にあったのさ!

そして同時に、隣人を助け、愛するということについても人々の模範となるべき責任があったんだね。なのに2人とも、死にかけている人がいるのを見て、あえて見て見ぬ振りをして、面倒ごとに関わるのを避けていった。

反対に、サマリヤ人というのがどういう人達だったかというと、この話の舞台であるエルサレムに住んでいたユダヤ人から、歴史的な経緯があってとても嫌われていたんだ。憎まれていた、と言ったほうが正しいかもしれないね。3でも、このサマリヤ人は、そんな2つの人種間のあつれきにもかかわらず、倒れている人に手当をして、宿代も出してあげた。すごいと思わないかい?

このたとえ話からわかることだけど、僕は、神様が本当に望んでいることは、地位や名声を得て人々に尊敬されることではなくて、純粋な思いやりと助け合いを行動に移すことなんだと思うのさ。

もしかしたら、祭司とパリサイ人には、何か急ぎの用があったかもしれないし、サマリヤ人との間に昔何か嫌なことがあったのかもしれない。でも、それでも、自分に言い訳を作らずに人に愛を示せるってことが、本当の愛なんじゃないかな。

アララト先生
アララト先生
だから、マナくんも、このサマリヤ人のように、どんな相手にでも、どんなときにでもとっさに親切な行動をとれるように、心がけていこうね。
マナくん
マナくん
うわぁぁ〜〜すごいなぁ!
ぼくもサマリヤ人みたいに、みんなに優しくできるようにがんばってみる!

ごきげんラクダ

その他

ジェームズ・E・タルメージ
『キリスト・イエス』p421「わたしの隣り人とはだれのことですか」

YouTube 良きサマリア人のたとえ

脚注

  1. 『新約聖書』ルカによる福音書 10章30-36節
  2. 『モルモン書』聖句ガイド 「サマリヤ人」
  3. ジェームズ・E・タルメージ『キリスト・イエス』P.179「ユダヤ人とサマリヤ人の間の憎悪」