超訳!福音の原則

慈愛

慈愛とは、「イエス・キリストが持っておられる純粋な愛」のことです。慈愛は、キリストの特質の中で最も大いなるものです。

今日はお天気の良い土曜日。
マナくんたちは、ツキノさんのお家の近くの運動場に遊びにきました。

マナくん
マナくん
あっツーキーノさぁーん。どこか行くのぉ〜?
ツキノさん
ツキノさん
(こくん)
アンナ
アンナ
わぁ!お花かわいい!おさかなとパンもある!
ツキノさん
ツキノさん
アララト先生…風邪、ひいた…。お見舞い…
ハンナ
ハンナ
まぁ、そうなのね…。お気をつけて!
ツキノさん
ツキノさん
(こくん)
アンナ
アンナ
ツキノさんね、アンナがおねつだしたときも、きてくれたよ!
ハンナ
ハンナ
そうね。アンナの好きなたまごボーロと、お花を持って来てくれたのよね。
エドくん
エドくん
ツキノさん、喋らないけどやっさしいもんな!
マナくん
マナくん
ぼく、ツキノさんが怒ったところ、みたことないよぉ〜。
エドくん
エドくん
こないだ、通りすがりの魚屋さんに鮭どろぼうに間違われたときにも、ニコニコしてゆるしてたんだぜ?!まぁ、俺様だって同じようにできるけどなっ!
ハンナ
ハンナ
どうしてツキノさんは、あんなに優しくて、慈愛に溢れてるのかしら。
マナくん・エドくん
マナくん・エドくん
じあい・・・?
アンナ
アンナ
なにそれ!おいしい?

慈愛ってなーに?

あなたの周りに、「なんでこの人はこんなに親切なんだろう、、、」って人はいませんか?困っている人を助けたり、優しくしたり、自分の利益を計算に入れずに行動したり。そういうことができる人って素敵ですよね。

わたしたちもイエス・キリストがされたように、人に優しくしたいと思っています。イエス様はどうしてそんなに優しかったのでしょうか?それは慈愛をもっていたからです。

ここで言う慈愛とは、「イエス・キリストが持っておられる純粋な愛」のことです。慈愛は、キリストの特質の中で最も大いなるものです。「愛」と言っても、恋愛感情のような愛とは異なり、慈愛は以下の要素を含んでいます。1

慈愛の要素

・寛容であり、情け深い
・相手をねたまず、謙遜である
・不作法をしない
・自分の利益を感情に入れず、神様や人のために行動できること
・いらだたない、恨みをいだかない
・罪悪を喜ばないで真実を喜ぶ
・神様を信じ教えを守ること
・神様の教えに希望を持ち、教えを守り通す忍耐力

どうして慈愛を身に着ける必要があるの?

神様はご自分がわたしたちを愛しておられるように、わたしたちにも互いに愛し合って欲しいと望んでおられます。2わたしたちは天国に行くために、神様とイエス様のようになりたいと望みを持ち続け、努力しなければなりません。

もし仮にわたしたちが天国に入れたとしても、依然として愛し合わず、殺伐とし、互いを恨んでいたら、それは天国と言えるでしょうか。。完全に清い神様やイエス様と同じ場所で安らかに暮らせるように、わたしたちも御二方のような愛を身に着ける必要があるのです。3

どうしたら慈愛を身に着けられるのだろう?

慈愛について聞くときに、「そんな善い人になるのは無理だろう」、「どうしてそこまで善い人になる必要があるのか」と思うかもしれません。でも、神様はわたしたちがイエス・キリストの贖罪に頼り、努力をすれば、慈愛を身に付けることができると約束しておられます。

また、神様は、慈愛を身に着けることができるように「熱意を込めて御父に祈りなさい」4と命じておられます。その道のりは難しく成長は少しずつかもしれませんが、必ずできます!成長していないように思われたとしても、少しずつ進んでいるのです!

神様は、わたしたちが達成できることしか命じられないからです。5わたし自身、慈愛を少しずつ身に着けることで、他の人により優しくなりましたし、、他の人に共感したりすることができるようになり、人生がより前向きになりました。

わたしたちが慈愛の気持ちで満たされた人になる努力をするときに、より良い人生を歩むことができることを約束します。

さすらいのビーハイブ

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脚注

  1. 『モルモン書』モロナイ7章45節,『新約聖書』1コリント13章4-7節
  2. 『新約聖書』ヨハネによる福音書15章12節,『福音の原則』「30章慈愛」
  3. 『モルモン書』エテル12章34節
  4. 『モルモン書』モロナイ書7章48節
  5. 『モルモン書』1ニーファイ3章7節